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| ここで個別に改正を検討すべき、現行憲法の問題点に触れておきます。 まず、前文については、占領下でできた憲法であって、自国の安全保障を他国民の信義に任せて、自らは積極的な努力をしないような文章は改めるべきでしょう。これはマッカーサー司令部の「防衛はアメリカがやるから、日本は自分でやる必要はない」という占領政策の影響を受けたものです。昭和21年、日本解体の時代にあって、「日本の防衛は司令部がやる」という間接の意思表示にほかならない。ことほどさように、マッカーサー司令部は日本の軍事施設を撤去しようとしていたわけで、前文は当時の影響が非常に強い。さらに文章自体、非常に未熟です。もう少し自主性のある、日本国民の歴史的文化的共同体としての国家をみんなで作り、みんなで守って発展していくということと、世界の運命や平和確保に言及する内容が必要です。 また、それに関連して、非常事態に対する措置、危機管理の条文もない。どの国の憲法にも、非常事態宣言等による行政措置は明文化されている。非常事態において、国会で論議していては間に合わないことがある。それはあとで国会に報告するとか、承認を求めるべきで、旧憲法第八条及び第三一条がそれに該当するが、今の憲法にはそれがない。これもマッカーサー司令部の、「非常事態にはこちらで対処する」という間接的意思表示だったからです。 これは防衛問題ばかりでなく、阪神大震災のような大災害に対処する場合でも同じです。憲法上の規定があれば、総理大臣になるときの心構えがおのずとちがってきます。私が総理大臣になったときは、まず万一南関東大地震が起きたときのことを想定して、一部マスコミなどから“田中角影内閣”などと批判を浴びながらも、危機管理に強い後藤田正晴氏を官房長官に任命したわけです。 また、改正の大きな争点となる第九条についても、第一項は残しておいていいと思いますが、第二項「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあるのはどうか。やはり自分の国を自分で守るという意思を明確にしておく必要がある。しかも、個別的自衛権のみならず、集団的自衛権も行使できると正確を期すべきでしょう。 そもそも今の政府の自衛権論の基礎にあるのは、日本を防衛するのに必要な最小限の戦闘力を確保することです。禁止されている戦力というのは、近代戦を遂行するに足る軍事組織力のことと定義しています。必要最小限の戦闘力とはそれ以下のものですが、どの程度かという線引きははっきりしていない。 私はこれまで繰り返し主張してきましたが、現在の憲法の政府の解釈では、集団的自衛権は、権利はあるけれども、行使できないことに大きな矛盾があります。日米安保条約でも、国連憲章でも、集団的自衛権は認められている。それから政府の答弁にも、「集団的自衛権はあるけれども、使えない」となっている。集団的自衛権は、ひとことでいえば個別的自衛権のために存在する、広い範囲の中の一つの権力です。つまり、自分一人では敵の攻撃を防げないから、他の相手と提携して同盟条約を結んで守る。提携相手が危機に陥ったときにこちらが助けることができないというのであれば、相手にとっては一方的、片務的な契約であり、当方は被保護国の形になる。当然相手を助けなければ独立国でない。然らば当方はどこまで相手を助けられるかという程度は、憲法や特別に立法する国家安全保障基本法できめればよい。 とにかく自衛権の発動で自分を守るために、同盟条約を結ぶのだから、相手を助ける自衛権の行使、即ち集団的自衛権の行使は当然認められるのである。 個別的自衛権も集団的自衛権も一体同根のものです。いいかえれば、個別的自衛権のために集団的自衛権もあると考えていい。世界中がそういう概念を認めている。 自衛権は正当防衛権ですから、何時でも必要最小限にきまっています。しかし、その限度が現行憲法は曖昧です。たとえば、村山富市氏が総理大臣になる前は、自衛隊も安保条約も憲法違反と言っていたのが、総理大臣になって自衛隊を認めたために、国会で質問を受けたら「国際情勢の変化ならびに国内情勢の推移によってそのように変えて対応するのが正しいと認識したから変えた」という趣旨の答弁をしました。そうすると、国際あるいは国内情勢の変化によって防衛力の境界線が移動するというのは、まさに政策論ではないか。必要最小限の戦力という目盛りが政府によって自由に動かせるとしたら、こんな曖昧で危険なことはない。だからこそ、憲法上、境界線を明らかにして、文章も解釈も、正確にしておく必要があります。 ただし、集団的自衛権の行使を認めるといっても、憲法の条文は比較的抽象的に書いてあります。この点も多少具体的にしておく必要があります。実際その行使については、国家安全保障基本法という法律を作って、外国と提携して協力するときに、どの程度の範囲かを具体的に決めておくことが適切です。集団的自衛権の行使の態様は国会の統制下に置き、国会の承認、否認、報告、中止等々憲法及びその基本法で明定しておくことです。このように透明性を確保することによって、国民に安心感をもたせ、外国に対しても理解を求められるようにする。私はそれが絶対不可欠だとかねてから言っているわけです。 |
第九条−集団的 自衛権を認める |
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