| 2001年 6月 6日 中曽根 康弘 |
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「仕事師内閣」に徹せよ ―― 本日は小泉内閣について率直なところを伺いたいと思います。小泉内閣は発足以来、高い支持率を維持していますが、まずそれについてはどう分析されていますか。 中曽根 一九九○年代の約十年間に及ぶ日本の政局に対して、国民はうんざりしていた。密室談合や腐敗を繰り返す与野党双方を見て、国民には不満が鬱積していた。そこへ小泉君という新品種が飛び出してきて自民党や永田町や官僚体制を勇敢に批判したことで、ようやく国民は溜飲が下がり、「小泉にやらせてみよう」という意欲が起こった。 それが小泉君が予備選に勝ち、また総理になった原動力です。彼は体制内の体制破壊者という立場を貫き、今でも一貫している。野党の主張や党首のビヘイビアを見ても旧態依然たるものだ。むしろ小泉君の積極断言型の態度、分かり易く、しかも信念と責任に溢れたスタイルに国民が魅力を感じている。そういう状況だろうと思います。 ただ、それはあくまで予告編に成功しているのであって、まだ助走路にすぎない。本番はまだこれからで、そこで彼の腕前が試される。例えば組閣にしても、田中外務大臣を実現してアッと言わせ、女性閣僚の五人囃子、“塩爺”という相談相手なども配して、内閣をショーウインドーとして見せることには成功した。後はいい商品がほんとうに出てくるかどうか。国民は今それを見ている。既に田中外相には賛否両論が出始めている。 政策的には、道路特定財源の一般財源化、公共事業費の縮減、あるいは地方交付税交付金の縮小、公社・公団、特殊法人の廃止転換など、かなりいろいろなことを打ち出しているが、いずれも難しい問題を抱えている。果たしてどの程度やれるか。経済財政諮問会議の基本方針にしても、それ自体はかなり放胆な画期的な内容を持った商品が並べられているが、実際の中身は参議院選挙後に延ばされている。 しかしながら、小泉首相の議会答弁、あるいは新聞記者への発言等を見ると、依然として強気だ。信念的断言性を後退させていない。党首討論を見ても、エネルギーと巧妙さにおいて、完全に野党の党首を食っている。そういう面で、まだまだ小泉凧は落ちていない。それは当分続くだろうという印象を持ちます。 ―― 次の段階での課題は何でしょうか。 中曽根 私の総理時代を振り返ると、大事なのは大きな政策目標を掲げることと、必要な人間をうまく配置すること、すなわち「仕事師内閣」になることだった。だから、組閣に際しても仕事本位で人材を配置した。毀誉褒貶を超越して、いわゆる“田中曽根内閣”と言われることも敢えて辞せずに、「政治は結果だ。結果があれば褒貶など一週間で消える」と、田中系の優秀な人材も活用した。後藤田官房長官しかり、金丸幹事長しかり。竹下君を大蔵大臣、安倍君を外務大臣に起用し、いずれも四年やらせた。 だから私は、小泉君にも「仕事師内閣に徹しろ」と言っている。「いろんな評価、毀誉褒貶、支持率、そんなものは気にするな。仕事をやって討ち死にしたら本望だ」と。 私が内閣を作って、政策と人事を内示した時、その田中派の中枢の二階堂、金丸両君は「本気でこれをやるんですか。半年もちませんよ」とやり直しを助言した。私は「半年もてばいいじゃないか」と言って、そういう声は押しのけてやった。それが私の哲学だったからだ。 小泉君は時間と困難さを伴う目標にあえて挑戦しようとしている。その志に私は拍手を送った。自民党総裁選で掲げた「憲法改正」「集団的自衛権の容認」「首相公選」「教育基本法・教育の改革」「靖国神社参拝」「二十一世紀の新しい道を拓く」といった公約は、いずれもかつて私が言っていたことでもある。私はそういう意味で彼を支援した。西部邁君が「小泉首相を見ていると、中曽根さんは青年将校時代を思い出すんじゃないですか」と言っていたが、私は苦笑した。 「大統領的首相」としてのマヌーバー、あるいはパフォーマンスということでは、小泉君はなかなか上手くやっていると思う。問題は「議院内閣制的総理」―― ここではあえて「総理」という言葉を使うが――として、政党の操縦・運営、野党対策、議会運営が上手くやれるかどうか。 私の場合は、その両面を上手く使い分けたと思う。一面では大統領的首相として、土光さんを中心に行財政改革をやるという大きな風呂敷を持って、国鉄以下の改革に勇敢に突っ込んで行った。それで世論の支持を得つつ、自民党と国会を牽制していった。野党のみならず自民党も含めて、政党からは「中曽根は独裁者だ」と言われたものだが、私自身は「大統領的首相」と「議院内閣制的総理」というものとを、上手く使い分けたと思っている。議院内閣制的総理の方は、金丸君や後藤田君が苦労して助けてくれた。小泉君の場合は、「議院内閣制的総理」としての能力がこれから試されることになる。 最大の敵は自民党内部の族議員だ ―― 中曽根内閣は国鉄の分割民営化を断行しましたが、当時、最大の障害は何だったのでしょうか。 中曽根 それは自民党ですよ。党内の運輸族。それともう一つは国労、動労といった労働組合。当時、運輸族が国鉄民営化に反対していて、組合に囲まれた総裁以下国鉄の幹部と連携を取って城を作っていた。 その一方で、心強い応援もあった。例えば「国鉄国賊論」を掲げていた屋山太郎氏。また、三塚君も国鉄改革論を唱えて応援してくれた。それと、何よりも世論の支持があった。なにしろ当時、国鉄の赤字は毎年一兆円にのぼり、それを税金で埋めている状況だった。それに国鉄労組はあまりにもひどかった。ストライキは多い上に、保守作業員などは夕方の四時ごろには風呂に入っていたほどだ。だから国鉄改革には世論の支持が集まり、それを梃子に私は党内の反対勢力を切り崩していった。 私は国鉄の総裁を、西武鉄道の社長をしていた仁杉巌君に代えた。「民営分割に賛成します」と言ったので、総裁に据えたのです。ところが、国鉄の中に入って一年くらい経ったところで「民営化はできない」というような、組合に同調した声明を出した。組合や反対派の幹部に取り込まれてしまったわけです。これはもうクビにしなければ駄目だと思って、運輸大臣だった山下徳夫君に話した。昭和六十年の二月頃のことだったな。山下君は「本当ですか」と驚いていたが、議会中は族議員たちがうるさいから、通常国会が終わる六月に入って、仁杉君から辞表を取った。 そうしたら十一人の理事が、総裁と一緒になって辞めると言っておどかしてきた。だから私は「みんな辞めさせろ」と言って、十一人全員の辞表も取った。彼らはまさかと驚いてね。組合の方も虚をつかれた格好になった。あの仁杉君をクビにしたのが決定的瞬間だったね。それを機に、一挙に民営分割に進んでいった。 おそらく、小泉君が郵政に手を付けようとしたら似たような現象が起こるだろうと思う。あるいは地方財源の問題や、公社・公団、病院、大学の民営化などでもかなり強い抵抗を受ける。道路特定財源も建設族の総反発に遭うに違いない。それを世論を味方にしながら、どう上手く進めていくか。政治的な剛腕が必要だ。 国鉄の問題については、総理になる以前から私は党内で取り組んでいた。三木内閣で私が幹事長の時、国労がゼネストをやった。三木さんは長谷川労相と一緒になって組合と妥協しようとしたが、私は「とんでもないことだ」と断固拒否した。その上で、ゼネストに勝って政府に損害賠償請求の裁判をやらせたのです。ゼネストで止まった汽車を全部調べ上げて、いくら損害を受けたかを計算したら二百二億円だったので、国労に対して損害賠償請求を起こした。 その裁判が続いていたから、国労は精神的に相当参っていた。これで民営化を断行すれば国労は潰れるだろう。同時に総評が解体され、日本の労働界や社会環境に大きな変化が起こるに違いないという考えも私にはあった。そういう大きな目標があったからこそ、断固としてやったわけだ。それを世論も財界も支持してくれたから、実現できた。その当時と比べれば、組合はかつての力はないし、小泉君にとってはやりやすい時代だ。だいたい世論が、国とかお上の仕事はやめて民間に渡せとなってきている時代だから、あの時よりはるかにやりやすいと思う。 ―― そうすると、いま小泉首相の構造改革を阻もうとしている最大のものは、族議員ということになりますか。 中曽根 そう、自民党の中だね。それに対処するには、周りに影響力や説得力のある人たちを集めることです。まず第一回戦はそういうスタッフを使って戦う。その後で総理が出ていく。そういう二段構えの作戦が必要だ。最初から総理が出ていったら、やられてしまって終わりになる。 私の時は、第二臨調があり、その答申を受ける形で進めた。当時は土光敏夫さんや大槻文平さんなど、影響力のある清貧な人たちがおられた。そういう人たちを探さなくてはいけない。その上で審議会を作って世論を喚起し、そういう世論の力と党内の支持層を結合させる。徐々にそれを拡大していって、反対派を孤立化させていく。 しかし、例えば郵政の改革を進めるにしても、ある程度彼らの言い分を聞くことも必要だ。リーズナブルなもの、妥協できるものについては、妥協する必要がある。一番大事なポイントさえ取れればいいという態度で臨むべきだ。 民有化後の国鉄の状況をみれば、彼ら自身も「おはようございます」と言えるようになり、サービスもよくなって、国民から歓迎されている。毎年一兆円ずつ税金を使っていたのが、今は一兆円ずつ法人税を納めてくれるようになった。そういう前例があるのだから、郵政の皆さんにも「前より給料が良くなりますよ」「国民に歓迎されますよ」と説得する手法もある。 ―― そうした体験は小泉総理に直接話されたのですか。 中曽根 もちろん。「参考になる」と言っていたが、まあ、その時になれば先例を一所懸命勉強するでしょう。小泉君は二十一世紀型の首相だね。大衆に対してアピールし、ある意味では個人プレーによって世論を誘導し、党内もまたその圧力で動かしていく。そういう大統領型首相が二十一世紀型です。私もやはりそうだった。それまではみな二十世紀型、議院内閣的首相だった。 彼が総裁選挙から首相になるまでの過程を見ていると、まさに挑戦型だった。それで、首相になった時に、「ベンチャー首相だ」と言った。ベンチャーという意味の中には、いささかの危惧と不安もある。だいたい、いまベンチャー企業というのはあまりよくないから(笑)。不安というのは、先に言ったような「議院内閣制的総理」としての能力を発揮できるかどうかだ。 「ワイドショー」から「NHKスペシャル」に ―― 衆参同時選挙を勧められたとも聞きますが。 中曽根 いや、「私ならやるよ」と言っただけ。同席した石原慎太郎君も「私もやる」と言っておったがね。いずれにせよ、それは首相が自分で決めることだ。 私が小泉君に同時選を勧めたのは、「新しき酒は新しき皮袋にもれ」ということ。今も相当世論の支持があるが、これだけの仕事をするのなら、さらにエネルギーを国民から貰った方がいい。同時選で衆参両院ともに勝てば、エネルギーは倍加する。 ただ、小泉君は、仕事師内閣としての実績をある程度見せてからやると考えているのではないか。私もそうだった。昭和五十七年の十一月に総理になって、翌年の七月に参院選があった。四月頃、後藤田君と二階堂君が角さんのいいつけで「同日選をやれ」と言いに来た。だが私は実績を見せてからやろうと思っていたから、その時は拒否した。そして、国鉄改革を断行した後の六十一年に同時選挙をやった。この時、衆院三百四議席、参院の改選組で七十二議席取った。これは過去最高記録だ。 ―― 田中真紀子外相についての懸念はありませんか。 中曽根 これは自然に解決していく。本人も自分の欠陥に気付いて来ているし、外務大臣は科技庁長官とは違うということが自ずと分かってくるだろう(笑)。 日米関係については、これは総理が行って話せば完全に解決する問題だ。その意味では、ブッシュと第一回の会見をする時が一番大事だ。その時は日米双方で、対アジア戦略とか経済問題などについて、総合的、大局的な戦略的合意を形成する必要がある。だから、向こうから言われる前にこちらから持って行けと私は言っている。対ブッシュ戦略は積極攻撃型がよい。 田中君についてはいろいろな見方があるだろうが、一面では面白いところもある。それをどう機能的に活用するかというのが大事だ。これも総理の腕前だ。 今の小泉内閣はまだワイドショー的なものだ。これを早くNHKスペシャルのようにしていかなければいけない。一つの問題を深く究明していくということだ。議会というのは、なかなか厳しいものだから、スペシャルの問題を準備しないといけない。 ―― 小泉内閣の構造改革は成功するでしょうか。 中曽根 ある程度は前進する。当面の課題は経済財政諮問会議の基本方針と日米首脳会談だが、すぐに特効薬みたいに効くものではないにせよ、おおよその方向付けは出来る。 七月には予算編成上の問題があるが、新規国債三十兆円以内というのは、やれると思う。平成十二年度は景気が上昇してきており、二兆円くらいは法人税の増収がある。 彼の人気が絶えずに、今のエネルギーで積極果敢さを持続していけば、小泉政権はある程度は続く。なにしろ野党があまりにも弱すぎる(笑)。野党の党首には、小泉君と正面から対決する二十一世紀型のタイプがいない。 その意味では小泉君には敵なしという感じだが、だからこそ彼には一方で、節度と抑制力と謙譲さが必要になってくる。私が作った句を小泉君に贈るとすればこれだな。 「したたかと言われて久し栗をむく」 この心境でやったら、長期政権になるよ(笑)。
(本インタビューは、月刊『新潮45』二〇〇一年七月号に掲載されました。)
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小泉首相の課題 |