| 2001年 8月29日 中曽根 康弘 |
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編集者が、なぜ今回私に『愛国心とナショナリズム』について書くことを要請したか。その背景を私なりに考えてみた。なるほど日本の現状を見渡すと、国内的には、憲法や教育基本法の改正が政治日程に上ってきたし、小泉首相の靖国神社参拝も論議を強く呼んでいる。国外的には、教科書問題や首相の靖国神社参拝について、韓国や中国等の周辺各国が、日本の過去の過激なナショナリズムの再来を警戒し、それら周辺諸国との関係に不協和音が増大してきた。いわばナショナリズムとナショナリズムの相剋の現象が起きている。 この様な情勢に鑑み、ここで冷静に『愛国心とナショナリズム』なるものを検討し、「二十一世紀の日本が辿るべき新たな道、日本の基軸的国家像と対外政策を検討せよ」という命題の答えを書けということなのかもしれないと思ったのである。 愛国心とは、国民の純粋で自然な感情と認識である。その住民が存する大自然と、歴史的、伝統的につくられた固有の文化に対する愛着により、これを護持しようとする純粋感情から生起する。また、それらによってつくられた地域や国のアイデンティティを守り、子孫に伝えようとする純粋感情と認識であると思う。所謂、普通のナショナリズムは、一般に民族主義、或いは国家主義と訳されているが、愛国心を基調とする情念と行動の社会的表現なのである。一方、愛国心とイデオロギー化したナショナリズムは似て否なるものであると思っている。イデオロギー化したナショナリズムとは、愛国心を悪用し、これに藉口した政治的、戦略的作為施策であり、自然な純粋性と、世界平和又は国際協調という情意概念を欠くものである。 私の場合、私は群馬県高崎市に生を受けた。そこには赤城、榛名、妙義の上毛三山を始め、遥か遠くには谷川岳や浅間の四季があった。子供の頃は自宅の物置の屋上にある物干し台へ上り、この周囲の山々を眺めるのが好きであった。「ヤッチャンがいない時は物干し台にいるよ」とよく言われたものである。特に、秋の夕方、浅間を見るのが好きであった。浅間の肩に、夕日がかかり、時時刻刻、空や山や野原が変化してゆく姿には荘厳なものがあった。気が付けば既に周囲は暗くなり、反対の空には星が出始めていた。それを見て身震いをして駆け下りたものである。この上州の大自然の霊感は、私の体に蓄積され、それが故郷に対するノスタルジアの底にあり、愛国心の発生源の始原的要素であった。 それと共に、郷土や日本の歴史や伝統によってつくられた文化が渾然と融合して、それを生んだこの国を護持し、文化の成果を外に発揚しようという強い意欲が、私の体の中に生まれてくるのである。この純粋な愛着による護持、発揚の意欲というものが愛国心なのだろう。人間が持っている創造性が、固有地域の自然や文化よって、?醸されて生成されてゆくものである。 また、学生となって国家や文化やナショナリズムについて勉強し、大東亜戦争前数年の日本を巡る危険な国際情勢を見て、日本の国の独立と安全、アイデンティティを護持しようとする意欲は著しく強められた。しかし、大東亜戦争直前になると、鬼畜米英などという言葉が新聞紙上に躍り、愛国心が乱用され、イデオロギー化したナショナリズムに嫌悪を感じた。 この様なイデオロギー化した偏向ナショナリズムの例は他にもある。歴史上においても、勝てば官軍、負ければ賊軍で、戦勝者が戦敗者を処断する時に利用することが多く見られた。例えば、明治維新前後の井伊掃部頭や小栗上野介ら幕末の指導者の場合である。井伊も小栗も日本の前途を憂い、安政和親条約に調印したり、或いはフランスと提携し、横須賀に造船所をつくるなど、日本の国益を守る命がけの業を行った。それにも拘らず、その後、彼らは維新政府において、賊将とされ、何れも殺戮された。しかし、彼らも真の愛国者であったのではないか。愛国を戦勝者によって一方的に独占され、われらこそ愛国者であると宣伝され、政権の強化に使用されて、戦敗者は糾弾された。靖国神社の起源も、主として戊辰戦争で命を失った薩摩長州の三千数百名の将兵の霊を弔うことを目的に、招魂社として明治二年に創設され、その後は主に対外戦争で戦没された霊が祀られたのである。今になってみると、日本の国を守ろうとして努力したことは双方とも大差はない。その方法に差があった為に勝者によって敗者は打ち捨てられる処分を受けたのである。 昭和の敗将である東条英機、敗首相である廣田弘毅等に愛国心がなかったと断ずる人は多くはないだろう。彼らが国際的、国内的にも方法を誤ったと非難されることはあっても、彼等の愛国心の欠落を唱えるのは難しいことである。また、明治の反主流派、西郷隆盛や江藤新平もしかりである。彼らも維新政府によって弾劾されたが、国民的には尊敬を受けている。今の時点に立って考察すると、西郷は救済されたが、井伊、小栗は気の毒であった。しかし、大東亜戦争を主導した東条については、未だ日も浅く、歴史的判定は必ずしも確定していない。確かに、時の大勢に押されて開戦し、敗戦に陥ったことは厳格に批判されるべきことである。だが、最近では、彼が東京裁判において、天皇を擁護し、自らの責任において実行した旨を述べていたり、米国側の研究で、開戦についてはルーズベルト大統領筋の誘導謀略説の論証もあったことなどから、歴史的判定はいまだ未熟である。廣田については、彼は東京裁判において一言も弁解せず、従容として絞首刑に赴いたこともあり、その首相在任中の所為によって、外交官出身でありながら軍人と同等に扱われたことには同情が多い。何れにせよ、ナショナリズムがイデオロギー化して過激になると、それに反対する愛国者を国賊扱いにする悪習があったが、これは将来に亘って大いに戒めるべきことである。この様な考えから、例え法律に触れたことがあっても戦争反対者や共産主義者の中にも愛国者がいたと見るべきである。愛国心は常に政権や法律が独占すべきものではない。 歴史的に鑑みても、ナショナリズムとインターナショナリズムは、政権や政党によって適時便宜に使われてきた。穏健なナショナリズムは、国家の秩序と国民の活力確保の源泉となった。過激なナショナリズムは、善良な国民を騙し、また国際関係を破壊する結果を齎した。 前者の例は、明治二十年代以後、発展途上国として先進国に追いつく間の明治政府の政策であり、また、第二次世界大戦後、アジア、アフリカなどの発展途上国の独立運動として主張され、植民地体制からの開放に結びついたことである。後者の例は、ヒトラーナチスの政策である。 ナショナリズムを善用又は悪用して国家の発展を図ることは、何れの発展途上国も行っている。善用の例は、経済成長と民主化に成功した韓国や、スエズ運河の国有化に成功したエジプトである。悪用の例は、イスラエルとパレスチナの間に泥沼戦争を続けさせているものである。また発展途上国において、政権が混乱したり、弱体化してきた場合に対外ナショナリズムを強化して政権批判を逸らし、国民の団結を強化する方策に使われる例もある。アジアにおいても、隣国との関係において、これを活用する例が今日においても見受けられる。 この様にナショナリズムの欠陥は、発想思考が内向であって、地域全体や世界、人類といったものにまで及ばないことである。 最後に日本に目を転じよう。日本の政党は与野党含めて、ナショナルとインターナショナルの政策を、選挙を中心に使い分ける傾向が強い。ナショナルな面は、憲法改正、安全保障、靖国参拝、産業保護、対米政策等に強くでる。インターナショナルな面は、平和、環境、人権問題等に強くでる。傾向を見れば、自民党、自由党、保守党には前者が強く、社会党、共産党には後者が強い。公明党はその前者に近い中間的存在である。しかし、社会党、共産党の場合は、一面において強いナショナリズムを噴出させる場合もある。対米政策や市場経済政策等に対して反対の強硬論に出ることが、その例である。 しかし、国家を維持発展させる上において、歴史、伝統、文化のアイデンティティと、それを軸に将来への発展を図ることは、主権国家が並存する国際社会においては当然の筋道である。この当然過ぎる筋道によって、日本において自民党を中心にする新保守自由主義の政権が連続して維持され、社会党、共産党の政権が生まれなかったことが理解される。 この新保守自由主義の政策上において、二十一世紀の来るべき日本の国家像の制定とその実現が、今や政治日程に上っている。即ち、憲法や教育基本法の改正、社会福祉を含む財政構造の改革、集団的自衛権を対象にする安全保障体系の変革がそれである。これは、国際社会の中で発展するために、その固有の文化を継承創造し、日本民族の運命共同体を護持発展させようとする共通意識が、この二十一世紀初頭に、日本民族の心に力強く動き始めた兆である。 しかし最近では、情報通信技術が目覚しく発展し、文明的大転換を齎した。その所産のとして、グローバリズムが世界的潮流として出現した。インターネットを中心に、国境を越えた個人と集団間の交流や、平和、環境人権等に対する地球的、人類的共働が活発化してきたのである。地球の人口も現在は約六十億人であるが、あと五十年位で八十億人を突破する可能性があり、そうなると資源の枯渇や環境の破壊で地球的存在が危機に陥ると警告されている。 この様なことから、愛国心も徐々に自らを基調にしつつ、愛地球心、愛人類心に半世紀の間に変貌してゆく運命にあると、私は予見しているのである。
(本文は、2001年11月中旬発売、文芸春秋別冊「日本の論点2002」に掲載されました。)
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